モチベーション
高卒と大学卒
高卒と大卒の両方を経験している人は、そんなに多くないはずだ。
俺は高卒で4年間働き、その後大学に進学した。
だからこそ、高卒と大卒の違いを体感として理解している。
しかも、高卒だった俺と大学卒になった俺は、同じ人間だ。
中身が大きく変わったわけではない。
それでも、周りの反応は明らかに違った。
何が違うのか。
まず一つ目は、周囲からの評価だ。
同じことを言っても、そもそも見られ方が違う。
期待値が違う。
その違いが、知らないうちに自分の中にコンプレックスを生んでいた。
二つ目は、「勝てない感」だ。
大学卒の人が、何を知っていて何を知らないのかが分からない。
その「見えない差」が、とにかく大きく感じられた。
「大学で習ったことなんて、仕事ではあまり役に立たないよ」
そう言われても、納得できなかった。
自分の知らない世界がある以上、努力だけで追いつけるイメージが持てなかったからだ。
では、今の時代に俺が高卒だったらどうだろうか。
AIがこれだけ進化している今、知識そのものの価値は昔ほど絶対的ではない。
かつて俺は「化学なら何でも聞け」と言っていたが、今ははっきり言える。「チャットGPTの方が自分より圧倒的に賢い」と。
自分にしか解けない問題がある、という優位性は、AIによってほとんど消えた。
しかし、それでもなお、高卒だった俺が感じていた問題は解決されていない。
AIが進化しても、「東大卒はすごい」という評価は消えないだろう。
AIが進化しても、「大学卒には勝てない気がする」という感覚も消えない。
だから考える。
大学の意味とは何か。受験勉強の意味とは何か。
これからも、学歴によるフィルターは残り続けるだろう。
だから俺は、学歴は「水戸黄門の印籠」のようなものだと思っている。
印籠があるかないかで、人生の生きやすさは確実に変わる。
高卒の頃、大学卒の先輩によくこう言われた。
「大学で大事なのは勉強じゃない。友達と過ごした時間や経験の方が価値がある」
でも、俺はそうは思わない。
俺は勉強をやってきたから、今がある。
大学時代に遊んでいた人たちに、俺が負けているとは思っていない。
もし俺が親なら、こう言うだろう。
「いい大学に行け。強い印籠を持っている方が、生きやすい」
そしてこうも言う。
「大学では勉強しろ。知識はお前の武器になる。
たしかに知識そのものでAIには勝てない。でも、問いを立てるのは人間だ。その答えを選び取るのも人間だ。
だから、考えるための引き出しは多い方がいい。」と。