旅行
フィリピンの思い出2
「スモーキーマウンテン」
スモーキーマウンテンはフィリピンの恥という位置づけのため、撮影が厳密に規制されていた。
いわゆる、ゴミを捨てているゴミ山である。

上の方に建物が建っているのがわかるだろうか?
また斜面に人間のシルエットもある(すごく小さいが)。
この山は大体3キロメートル四方くらいの面積に20階建てのビルくらいの高さがある。
ゴミの中からくすぶった煙が出ていることからスモーキーマウンテンと名づけられているらしいが、煙は全く出ていなかった。
ふもとはぐるっとトタンのような板や、溝で囲まれている。誰でもゴミを拾っていいわけじゃない。
ゴミ山への入山許可のある人だけだ。
詳しい基準は教えてもらえなかったが、子供はダメらしい。
外人もダメらしい。入れる場所は限られていて、関所のようになっていた。
首からIDカードを下げている人じゃないと、入山出来ない仕組みになっている。
また、入れない人は、ゴミ山の外側の部分でゴミを集めるしかない。
外の部分は昔のゴミばかりで土の中にある金属、たとえば錆びた缶や針金なんかを探しているようだ。

山の中や、周りに何人もガードマンがいて、撮影をしている人がいないか見張っていた。
20分に一回、ダンプカーがゴミを運んできている。
それをブルドーザーで平らにしたり、よせたりしていた。

新しいゴミがくる度に、人々はそこに群がり、少しでもいいゴミを拾おうとしているように見える。
もう、ブルドーザーぎりぎりまで人が近寄っている。集めたゴミは大きな麻袋に入れて、かついで運んでいる。

大体1日150ペソくらいになるらしい。
日本円で375円だ。
いいゴミにめぐり合えれば、200ペソを超えたり、ショボいのしかなければ100ペソ以下のこともあるそうだ。
それから家賃や食費なんかを引くとお金が手元に残らない。
つまり、その日暮らしのゴミ拾いだ。
ゴミ拾いの人のことをスカベンジャーという。
語源は「糞尿に群がる虫」という意味で、僕は差別用語じゃないかと思っていたのだが、現地の人は普通にスカベンジャーという言葉を使っていた。
「あなたの仕事はなんですか?」
「私は今、スカベンジャーをしています。」みたいな感じで使われていた。
悪くもなく、よくもなく、ただの仕事のひとつです。って感じだった。
そのスモーキーマウンテンのまわりにはいっぱい家があって(数万人が暮らしているらしい)、それぞれの家は小さかった。

僕らが訪問したこの家も、夫婦と子供が5人の家だったのだが、家の大きさは4畳半プラストイレ。
くらいの大きさしかなかった。

食事は1日に1回か2回らしい。
食べられない日もあると聞いた。
僕はその家に少しのお金を置いて帰りたかったのだが、その人たちのためにもよくないからやめるように言われた。
また、危ないからやめた方がいいとも言われた。
日本人がいきなり現金を置いて帰ったという情報が流れたら、どっかで待ち伏せされて、撃たれる危険性もあるらしい。
スモーキーマウンテンのまわりは、水道管を改造して作った銃を持ってる人も結構いるとのことだった。
考えようによったら、スカベンジャーはリサイクル業者と一緒だ。あのゴミ山の17%のゴミはリサイクル可能だそうだ。
それを仕分けしてゴミ業者に転売しているのだから、まさにリサイクル業だ。
フィリピン政府も、スカベンジャーを隠すより、ちゃんと国営のゴミ分別会社のようなものを作ってきちんとやればいいのに…と思ってしまった。
僕らが住んでいる平和な日本から2500キロ離れたフィリピンで、今日もスカベンジャーがゴミを拾ってるんだろうな…時々そんなことを考える…
昔、僕の環境はどうしてみんなに比べて恵まれていないのだろうか?って考えたこともある。
今や、もうイチイチ書きたくないが、子供のころの僕の周りの環境はあまりいいものではなかった。
でも、それなりにいい運やタイミングなんかに恵まれてきて今の自分がある。
余裕が出てくるといろいろなことが見えるようになり、考えられるようになる。
日本人であるということは、地球上ではスタートラインの最前列でスタートできるんじゃないだろうか?そう思うようになった。
経済的に少し豊かか少し貧しいかなんてことは、成功するためにスタートすることに関しては誤差範囲じゃないだろうか?
少し豊か、少し貧しいなんて次元は、本当はとるに足らないちっぽけな差なんだって思う。
日本が優れていると思う点は3つだ。
日本は先進国であるために、餓死するような人や経済的に生きていけない人はいない。
なんだかんだ言っても福祉だって充実していると思う。
健康で文化的に生きていくことは絶憲法でも保障されている。
そして中学までは義務教育だ。
もう一つは、日本は自由が認められている。
もちろん公共の福祉に反しない限り、という枕詞はあるかもしれないが、そんなものは共同生活しているのであるから、最低限のルールだろう。
日本では勉強する自由が保障されている。
そして最後は、日本人にはきちんとやる文化があるということだ。
この前にフィリピンに行ったとき、現地の人からこう聞いた。
「フィリピンの人も幸せになりたいと思っているのだけど、多くの人にはそれを実現させるためにどうするかを考えようという文化があまりないんじゃないかと思う。」
もちろん、それがすべてじゃないし、それでフィリピンの人を下に見る気もない。
でも、仮にその言葉は真実だとすれば、なんとなく理解できると思われるシーンも少なくない。
スモーキーマウンテンのゴミ山にたくさんの小さい店があった。
でも、それらの店はほとんど同じつくりで同じものを売っていて、何も変わっていなかったように思う。
もし、日本だったら少しずつみんなが工夫するんじゃないだろうか?
福祉だって、多くの部分を海外のNGOに頼っているように見えた。
日本は戦後、世界で類を見ない速度で立ち直った。
それは日本には、そういう文化があるからなんじゃないかって思う。
僕らはついつい自分より豊かな人を見ると、妬んだり羨んだりすることがある。
でも、その人たちはやっぱり頑張っているんだと思う。
もちろん、運がいい人もいるとは思う。
でも、たまたま日本に生まれたっていう運に比べたらそんなの、全くTINYなんじゃないかって思う。
本当に感謝しようと思うのなら、僕はがんばる必要があると思うのだ。
貧しい国に生まれた人は、生きるためにがんばることを余儀なくされている。
ある国では小さい時から、銃を持たされているかもしれない。
そして、他人の命を奪えと教えられているかもしれない。
ある国では小さい時から、遠くに水を汲みに行かないといけないかもしれない。
1日の大半を水汲みに費やしているかもしれない。
スタートライン最前列にたまたま生まれてきた僕ら。
たまたま生まれてきたから、最後は地球に返したいって思う。
もちろん、最後じゃなくても途中でも返せるものは返していきたい。
よく大人になると「近頃の若い者は…」とか言ってしまう。
でも、この前のタイの村だって、フィリピンのNGOだって、メンバーのほとんどは大学生だった。
日本の若い大学生たちは、僕らよりずっと柔軟な感性を持っていて、ずっと地球を愛していると思う。
今、最前列に立っていることを感謝したい。
できるだけ善いことができる人生を歩みたいと思う。
日本の中での差なんて、そんなちっぽけなもの、努力でカバーできる範囲だ。
そういうことをきちんと子供たちに伝えたい。
炎集団みかみ塾はがんばる集団だ。
きちんと死ぬまでがんばり続けられるように、がんばることを伝えていきたい。